挫折と後悔
- ele5566st
- 2024年10月13日
- 読了時間: 7分
更新日:2024年11月4日
今回は挫折と後悔ということでお送りしていきます。
私は高校を卒業して23歳まで千葉県で働いていました。土木作業員、工場作業員として必死にもがき苦しんだ6年間です。
ひたすら悔しい思い出しかないです。
ずっとお金ないし、勉強して現状突破しようと努力しても結果に結びつかず、現場では先輩から毎日いじめられるし、現場リーダーになったら天下りの先輩と折り合いがつかない、就活は全く上手くいかない、最後はメンタルと体がボロボロになり、限界を迎えて退職しました。
二度と関東の土地なんか踏みたくないと思って鹿児島に帰ったのが今から15年前です。

23歳になる年の10月に帰ったので、あと1ヶ月でちょうど15年なります。
今でも覚えてます。
東京有明港のターミナルで、 俺の6年間は何だったんだと思って、悔しくても、 悔しくて、呆然としながら船に乗った日。
当時、仲が良くていつも励ましてくれた友人、プライベートでお世話になった先輩、会うと号泣して崩れ落ちそうだったので、何も告げることなく、逃げるように東京の地を離れました。
そこから鹿児島で学校に通い直し、国家資格である第一種電気工事士、冷凍機械責任者、消防設備士などを取得して大手商事グループ総合職への転職に成功しました。
大卒ではないけど、同等の地位に立つ権利を手に入れた喜びと共に、一生この会社で勤め上げるんだと心に誓いました。
この時は7年後出世のタイミングで不治の病になり、動画の副業が成功して、8年半の勤務にピリオドを打ち独立する。なんてことは夢にも思ってはいなかったです。
ジャイアント馬場さんが一生プロレスと言ったように、一生この会社だと誓っていました。
商社時代は自分の好きなことばかりやらせていただき、結果を出し続け、鹿児島の中では、そこそこのお金持ちにもなりました。
周りからはちやほやされてはいたのですが、ずっとモヤモヤしてて"何なんだ俺は"とずっと苦悩の中にいたのです。
カラオケが好きで毎週のようにカラオケボックスに通っていました。カラオケPVで東京、横浜の景色が流れるの見るたびに、過去の挫折がチラチラ。
あそこで頑張って、この豊かな生活が送れていたら、いまの何倍幸せなんだろう…
そんなことを思いながらのサラリーマン生活。でも周りからはチヤホヤされる、嫉妬される、羨ましがられる。
何なんだ、こいつらは…
田舎の人間って甘ったればかりで、本当くだらない、そんなんだから貧乏なんだよと、周囲を小馬鹿にしながら生きいる自分が、嫌で嫌で仕方なかった。
タジマさんすごいですね!とか、よっタジマ社長!とか、お金持ってて羨ましいな…とか、努力もしないやつが軽々しく俺に話しかけんなと思っていました。
でも、ずっと23歳まで挫折した悔しい思い出がチラリチラリ…全く自分のことが凄いなんて思ってもないし、むしろ虚しくて仕方なかったです。
そして奇しくも病気と前嫁の滞納税金がきっかけで始めた動画編集が軌道に乗り、独立した時、いまがラストチャンスだと思って、上手くいっていた案件を全て譲渡して、13年ぶりに東京に移住しました。
でも2年間はずっと自転車操業で収支は火の車状態。
そんな状況でも何故か、毎日進むこと以外は考えておりませんでした。
人生最後のチャンスは死ぬほど努力して23歳の俺みたいな後悔はないようにするんだ、絶対成功するんだ、これだけでした。
周りがどうなろうと俺は成功する。
倫理的な感覚が無くなりかけていた2022年11月に倫理法人会に出会いました。
そこでの学びは衝撃の連続。
23歳までの失敗の原因、33歳の出世のタイミングでの発病、35歳での離婚、強烈な自己否定。
全ての原因が一冊の本に押し込められておりました。
学びを続けてわかった明らかなことは、ずっと否定していた両親への想いが原因でした。
絶対貧乏なんか嫌だ、俺は金持ちになるんだ、あんな両親にはなりたくない。
それを決定づけたのは就活スタートのときです。
中卒大工の父、中卒紡績工場出身でパート勤務の母、生まれは2人とも極貧農家、そんな環境で育った私には進学なんて選択肢はありませんでした。
とにかく働いてお金を稼がなきゃ。
就職しなきゃ。
平均評定4.8、野球部、生徒会活動などの実績が評価され、国立大学推薦、ペーパー試験はパスで、入試論文だけ書けば進学可能という好条件をいただきました。
そんな好条件でしたが、うちは金ないから無理だ、現実を見なさいと両親に言われて、鹿児島まで嫌いになり、千葉に飛んだという流れです。
とにかく両親の嫌いな部分にばかりフォーカスして感謝なんてカケラもありませんでした。
でも、そんな自分がすっごい嫌だったんですよね。
絶対見返してやる、貧乏なんて単なる言い訳だ、いまに見てろよ…
でも振り返ると、両親のことはずっと好きだったんです。
お金はないけど、両親は必死だと心ではわかってました。
でも、良い部分は見ないで否定ばかり。
18歳まで必死に育ててくれた両親を否定して、新しい自分を書き換えるのは、そう簡単には、うまくいきません。
まやかしの自分をずっと作っているだけなんですから。
21歳のときかな、リーマンショック前にJFEの社員契約書まで書いて、正式移籍まで残り1週間のタイミングでリーマンショック。
社員契約白紙撤回。
ドーン…
そっから心身のバランスが崩れてボロボロにました。
根底で両親、先祖、地元、過去の自分を否定して頑張ってるんで、知らず知らずのうちにおかしくなっちゃうんですね。
今は過去の経験が将来の幸せだと思っています。失敗、挫折ではなく、幸せの準備期間だったんだなと思います。
今でもうまくいかないことはいっぱいあります。でもうまくいかなかったらラッキーだなと思うんです。
過去の自分を振り返るチャンスだ、幸せの貯金ができたと思うようになりました。
挫折とか後悔とか、いま思うと、そんなのどうでもいいですね。
自分がどうなりたいか、ただただそれだけです。
俺はお金持ちになりたいんだって野心燃やしてる人たちは大体貧乏人だと僕は思ってます。
同時に仲間がいたと思って嬉しくなっちゃいます。
世の中の大半のお金持ちの人って生まれた瞬間にお金持ちなんで、お金持ちになりたいなんて思わないんです。
恵まれ育った豊かな環境が普通なので、頑張ってる人を見ると違和感なんですよね。いや普通に生きれば良いじゃんって感覚な訳です。
そこに"嫌み"なんなて無いわけです。
そしてお金持ちにもお金持ちの苦悩があるわけです。
貧乏で何が悪いんですか?何故お金持ちになりたいんですか?何で自分の寿命を削るような働き方をしてまでもお金が欲しいですか?
この問いから目を逸らして、行動で上書きしても永遠に成功なんてしません。
絶対俺は成功する!!ある程度裕福な人から見るとですね、貧乏が成り上がろうとしてる姿はちょっと心配になるみたいですね。
むかし育ちの良い先輩から言われたことがあります。
そんなに必死に頑張っても死んだら意味ないぞ。
いま思うとその通りです。
私もまだまだ道半ばですが、田舎から出てきてる人を見ると放っておけません。
私みたいに体ぶっ壊しちゃうかもしれない。メンタルがぶっ壊れちゃうかもしれない。
とても心配です。
働くことも大切ですが、財務の知識、節約の知恵、税金の知恵、保険の知恵、働くことと同じくらいの大切なことは沢山あります。
学びて富よ。
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人生はこの言葉に尽きます。
私の鹿児島のいとこは、働きすぎ、勉強しすぎ、最後はうつ病になって、自ら命を経ってしまいました。
いとこの家庭はそこそこ裕福でしたが、家庭環境が悪く、都会に逃げるように職人の弟子入りをして、必死に頑張って、資格もたくさんとって、でも頑張り過ぎて短い人生となってしまったのです。
とても優しくて頭のいい、お兄さん的な存在。でも周りから見ると荒くれ者です。
人は本当の姿は見せないのです。
何が言いたいかというと、挫折も後悔も失敗もありません。
信じた道が正しいと思えば大体うまくいきます。
そして両親、家族、先祖、仲間はお金なんかより、よっぽど大切です。
毎日ご飯が食べられて、ベットで寝られて、笑顔でいることが成功の入り口でございます。
欲が強すぎると人生が崩壊します。
毎日楽しく、明るく、元気よくです。
私の現在の顧問先との最新情報、DM•チャットによる無料相談など人生を幸せにするコミュニティを運営しております。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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